門脇麦は有名バレエ教室出身!バレエの実力についても調査してみた!

数々の作品に出演している、門脇麦さん。個性的な役を演じることも多く、実力派の女優さんですよね。

そんな門脇麦さんですが、幼少期から12年間『クラシックバレエ』を習っていたそうです。その実力は、いったいどんなものなのでしょうか。

今回は、門脇麦さんのバレエの実力について、調査しました!ぜひ最後まで御覧ください。

目次

門脇麦は有名バレエ教室出身!

門脇麦さんは、5歳までニューヨークで暮らしており、当時からクラシックバレエを習っていました。

幼少期から中学2年生までの12年間、続けていたそうですよ。

日本に帰国後、『岸辺バレエスタジオ』に通っていました。

このバレエスタジオは、岸部光代さんが主宰の有名教室です。

岸部光代さんは、『チャイコフスキー記念東京バレエ楽団』『ベルギー王立ワロニーバレエ団』などを経て、Nihonバレエ協会理事をつとめています。

 

伝統的なロシアバレエと近代的なヨーロッパバレエを指導し、日本でも有数のバレエスタジオです。

岸辺光代さんは、バレエ業界の第一人者と言われており、日本のバレエ業界で知らない人はいないほどです。

そのため、このバレエスタジオには、プロを目指すバレリーナたちが集まっています。

門脇麦さんがバレエを始めたきかっけは、『仲良くなりたい友達が、バレエをしていたから』という理由でした。

バレエをしていくうちに、1回転しかできなかったのが2回転、と、だんだんできるようになる達成感を感じたそうです。

小学1年生になるころには、プロのバレリーナを目指すようになります。

学生時代はバレエ漬けの日々で、学校生活よりも、バレエのレッスンに明け暮れていました。

小学生のときは週5回のレッスン、中学生のときは自宅でレッスン後に学校に通い、放課後も22時過ぎまでレッスンという日々だったそうです。

門脇麦のバレエの実力は?

それだけハードな練習をしていた門脇麦さんですが、中学2年生の時にコンクールの選抜に選ばれず、挫折を味わいます。

そのときに、『自分はプロとしてやっていけない。』と悟ったそうです。

『努力で補えるものもあれば、生まれ持ってではないとできない素質もある。だけど壁を超えてやるという気持ちで続けてきた。あまり体も柔らかくなかったですし、中学生の頃は週に1回は整体に行かないと体がもたない状態になっていて、無理をしていました』
VOCEより引用

もともと才能が無いことを感じていたそうですが、この落選がきっかけで、バレエをやめることにしたそづえす。

ただ、バレエ仲間たちが海外留学をしたり、コンクールで優勝している姿をみて、逃げたことが恥ずかしいと思うようになりす。

そのため、バレエを辞める理由のために、『劇団に入ります』と、うそをついたそうですよ。

その後、ボイストレーニングやダンストレーニングも通いましたが、ハマることもなく、高校生活を『暗黒の3年間』と話していました。

岸辺光代さんにも、『プロにはむいていない』と言われたそうですが、実は高く評価されていました。

門脇麦さんが、10年ぶりに岸辺光代さんに再会した際、『どうして選抜メンバーに選ばれなかったのか?』と質問します。

すると岸辺光代さんは、『当時はまだ体が完成しておらず、温存するために選ばなかった。』と、真相をつげました。

もしそのまま続けていれば、バレリーナとして通用していたと、評価しています。

夢を諦めてからは、バレエを見るのも辞めてしまった、門脇麦さん。自分が踊っていた音楽が流れた際は、涙を流したこともあったそうです。

そんな門脇麦さんですが、15年ぶりにバレエに向き合い、日本を代表するバレエダンサーの中村祥子さんと、一緒に踊ることになりました。

門脇麦さんにとって、中村祥子さんは、ずっとテレビで見ていたあこがれのバレエダンサー。女優をしていなければ、絶対に会えなかった、と興奮気味に話していました。

門脇麦のバレエの動画はある?

門脇麦さんは、バレエの経験を活かし、東京ガスのCMに出演しています。

足を大きく開いて特訓する姿は、さすがバレエの経験者です。

門脇麦さんがどれほどバレエができるか分かるので、要チェックですね。

まとめ

今回は、門脇麦さんのバレエの実力について、紹介しました。

12年間もバレエレッスンに打ち込み、プロを目指していた門脇麦さん。

挫折して辞めてしまいましたが、Nihonバレエ協会理事である岸辺光代さんにも高く評価されており、その実力はかなりのものだったようです。

これからの情報にも注目ですね。最後まで御覧いただきありがとうございました。

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