歌手やテレビ番組の司会をつとめ、幅広く活躍している和田アキ子さん。
面倒見がよく親しみやすいキャラクターで、さまざまな芸能人からも、姉御と慕われていますよね。
そんな和田アキ子さんですが、若いときは意外にも(?)超可愛い!といわれていたのです。
今回は、和田アキ子さんの若い頃について、調査しました!
和田アキ子のデビュー当時からの画像を時系列でまとめ
和田アキ子さんは現在、歌手やバラエティ番組の司会など、幅広いジャンルで活躍していますよね。
そんな和田アキ子さんのデビュー当時から、現在に至るまでの変化を時系列で見ていきましょう。
1.デビュー時:1968年『星空の孤独』(18歳)
和田アキ子さんは1968年、『星空の孤独』で歌手デビューを果たしました。
念願だったデビュー作だったのですが、期待されていたほど売り上げが伸びなかったそうです。
若い頃はとても可愛くて、石原さとみに似ているとの声もあがっていました。
高身長でスタイルも抜群、「カッコイイ女性」という表現がぴったりですね。
知らない方も多いと思いますが、和田アキ子さんは在日韓国人で、出生名は「金福子」です。
和田アキ子さんの父親は料亭を経営し、柔道の指導もしていました。
昔かたぎの職人気質で、父が家では絶対的な存在だったそうです。
子供は全員敬語で接し、和田アキ子さんは女の子だからといって、毎晩晩酌に付き合わされていました。
ずっと正座でお酌をし続けなければならず、理不尽に暴力をふるわれることも多々あったそうです。
幼い頃から柔道を習っており、中学1年生で柔道初段の腕前となった和田アキ子さんは、中学生のときからヤンキー化してしまいます。
父親に反発するようになり、中学1年生で家出をしました。
喧嘩・お酒・タバコに明け暮れていたのですが、中学生のときに英語の授業が分からず悔しい思いをしました。
そこで、レコード店で洋楽のレコードを購入し、何度も聴いて英語を覚えるようになります。
その後、私立の高校に入学したのですが、わずか3日間で父が退学届を提出し、やめることとなってしまいました。
しかし、その後ホリプロの社長にスカウトされたことで、一躍スターダムを駆け上がることになります。
2.1969年:2ndシングル『どしゃぶりの雨の中で』(19歳)
2ndシングル『どしゃぶりの雨の中で』は、17万枚のスマッシュヒットを記録し、一気に人気歌手への階段を駆け上がりました。
当時の和田アキ子さんは、「和製のリズム&ブルースの女王!」というキャッチコピーでした。
歌唱力や声量も半端なく、MISIAさんのようなゴスペルがすごかったんですよね。
4月は休養月間にしていて、マンガ以外のやりたいことやってのんびりしている。
昨日観た映画。若い頃の和田アキ子がカッコよかった。 pic.twitter.com/291GY8kXDr
— 三丈晶生 (@ponchaker) April 12, 2021
当時の写真を見てみると、ドキっとするほど可愛いですよね。
しかし上京当時は生活が貧しく、社長の家に下宿し、じきじきにレッスンを受けていました。
ただ、社長に気を使ってご飯のおかわりができず、いつも空腹状態でした。
そこで、近所のすし屋で『ちらし寿司3人前を食べきったら無料』という企画にチャレンジし、吐きながら無理矢理食べきっていたそうですよ。
当時から姉御肌で、ゴッド姉ちゃんと呼ばれていた和田アキ子さん。
なんでも、歌手デビューする前は、舎弟たちを20人引き連れ、道頓堀を練り歩いていたとか。
和田アキ子さんは空手と柔道を習っていましたから、心斎橋から放り投げられた男が大勢いたとか・・すごい伝説です。
道頓堀では「ミナミのアコ」と恐れられていたのですが、一気に「リズム&ブルースの女王!」となったのはすごいですよね。
3.1970年:『笑って許して』(20歳)
1970年にリリースした『笑って許して』は、20万枚のヒットを記録し、紅白歌合戦にも出場することとなりました。
昨夜、CSでやってた「女番長 野良猫ロック」面白かった!!
1970年のサイケ、グラムロックがめちゃくちゃイカすし、再開発中の新宿がと戦後と21世紀を行き来するようなクラクラする風景。
そして、若い頃の和田アキ子さんが思いの外かわいい!! pic.twitter.com/duae62U3mU— 川﨑雄太 (@mamehijiki_arkt) June 13, 2017
レトロな髪型がよく似合い、色気があって美しい姉御です。
4.1972年:『あの鐘を鳴らすのはあなた』(22歳)
和田アキ子さんの代表曲とも言える『あの鐘を鳴らすのはあなた』では、第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞します。
一躍トップアーティストの仲間入りを果たしたのですが、このときから先輩から嫌みを言われたり、いじめを受けていたとか。
わざとお茶をかけられたり、靴にマジックで「バカ」と悪口を書かれるなど、悪質ないじめだったそうです。
#和田アキ子
和田アキ子のコラボ曲が謎にバズってるみたいだけど、若い頃のアッコさんって鈴木紗理奈に似てると個人的にずっと思ってた。 pic.twitter.com/biG9NUfD5W— つかさ (@tsukasa_1978) November 18, 2021
なんと、レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したときの花束も、菊の花だったそうですよ。ひどすぎますね・・・
それでも和田アキ子さんは負けずに、スターの道をかけあがったのです。
5.1973年:バラエティー番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(23歳)
和田アキ子さんはバラエティ番組に出演するようになり、タレントを鍛えるため企画を仕掛けていく『ゴッドねえちゃん』に扮します。
コントを繰り広げる様子がウけて、視聴率30%を超える超人気番組となりました。
『和田アキ子=乱暴者』とイメージがついたのですが、人気タレントとしての地位も確立します。
たまたまTLに飛び込んできた石原さとみ。
僕には若い頃の和田アキ子に見えた。 pic.twitter.com/8yY74hR5M2
— ラオフー (@Nihaolaohu) June 2, 2020
「デカい・コワい・強い」というイメージが全国区となり、姐御肌のキャラクターはたちまちウケたのです。
しかし、1979年には強引に降板を申し出、打ち切りとなってしまいました。
和田アキ子さんは、「ゴッド姉ちゃん」のイメージを嫌っていましたし、歌手活動に専念したい思いがあったようですね。
この時、レギュラー出演していたバラエティ番組も全て降板してしまったそうです。
6.1974年:『古い日記』
1974年に発表された『古い日記』も、大ヒットを記録し、和田アキ子さんの代表作のひとつとなりました。
長身でスタイル抜群の和田アキ子さんは、ロングドレスがとてもよく似合っていますね。
日本人離れしたスタイルで、報道陣を魅了していました。
7.1981年:カメラマンと再婚(31歳)
和田アキ子さんはプライベートで、2度結婚をしています。
1977年にマネージャーの男性と結婚していますが、スピード離婚してしまい、1981年にカメラマンの飯塚浩司さんと再婚しました。
和田アキ子さんは子供が大好きで、子供をさずかるのを望んでいたのですが、結婚直後に子宮がんが発覚してしまいます。
そのため、子宮を全摘出と判断され、泣く泣く子供を諦めたそうです。
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8.現在
現在は芸能人のご意見番として、すっかり大御所タレントの貫禄をみせている和田アキ子さん。
バラエティ番組を降板した際は、テレビ局が出禁になることもありましたが、現在はすべて解決されています。
『幸せも不幸せも背中合わせの表と裏』『いつもの店の有線が私の代わりに泣いた』
こんな芸術的で文学的な歌詞を書いていた若い頃の秋元康は紛れもなく本物の表現者だったし、去年行ったコンサートでこの曲を歌っていた和田アキ子の歌声はとても美しかった。隠れて少し泣いた
『涙一つ傾くやじろべえ』 pic.twitter.com/FZ3I2ylAzD— 式守ウノは東東京が生み出した壮大なジョーク (@not_human_UNO) May 30, 2019
1980年代以降は、「アッコにおまかせ!」でMCをつとめ、紅白にも出場したり、歌手とタレントの仕事を両立していますね。
バラエティ番組を通じ、明石家さんまさんやダウンタウンなど、多くの大物芸人と仲良いですね。
怖いイメージのある和田アキ子さんですが、誰とでも仲良くなれる優しい方なのでしょう。
和田アキ子の若い頃。
すごくクールでヒップ。圧倒的なリズムと歌唱力でそりゃもうかっこいい。
いつから髪型固定でおとなしめファッションになっちゃったのかな。
この路線の今のアッコさん見たかったよ pic.twitter.com/ti09gmUEvA— mike_wo (@mike_wo) March 27, 2020
和田アキ子さんはデビュー50周年を迎え、70歳を超えるとは思えないほどのパワフルさですよね。
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まとめ
今回は、和田アキ子さんの若い頃について、紹介しました。
若い頃は可愛さとかっこよさをかねそろえており、「和製のリズム&ブルースの女王」と呼ばれていました。
昔からスタイル抜群で、パワフルな歌声で世を魅了していたのですね。
今後の活躍も楽しみですね!