吉川ひなのの生い立ちが酷すぎる!両親が毒親すぎるエピソードまとめ

年齢を重ねても変わらぬ美貌に女性ファンからの支持も厚い、モデルの吉川ひなのさん!

プライベートでは3人のママでもありますが、2024年11月に2度目の離婚を発表されましたね。

10代から第一線で活躍していた吉川ひなのさんは、その生い立ちが壮絶だと言われているのです!

今回は、吉川ひなのさんの生い立ちや両親の毒親すぎるエピソードについてもまとめてみました!

目次

吉川ひなのの生い立ちが酷すぎる!

吉川ひなのさんは、2021年5月に発売された自身初のエッセイ『わたしが幸せになるまで』の中で、壮絶な生い立ちを暴露していました。

また、2023年6月に発売された2作目になるエッセイ『Dearママ』の中でも、両親との関係や幼少期から受けた心の傷、元宗教2世であることも赤裸々に綴っており、話題を呼びましたね。

それでは吉川ひなのさんの生い立ちを見ていきましょう!!

輝かしい芸能活動の裏で実家は極貧

吉川ひなのさんは、1992年の12歳の時にモデルとしてデビューし、広告モデルとして大注目を集めます。

”お人形のような可愛らしさ”ということで、瞬く間にブレイク!

数多くの人気ファッション誌の表紙を飾り、トップモデルの仲間入りを果たしました。

引用:X

当時、ティーンより絶大な支持を集め、仕事も順調かと思われていた吉川ひなのさんですが、実は仕事は嫌々ながらやるしかないという状況でした。

というのも、実家はかなりの極貧生活をしていたそうです。

子供の頃は電気がつかないことは日常茶飯事で、借金取りに追われ、玄関先で居留守を使うように言われていたといいます。

小さいころからわたしの両親はそんな感じで、支払いができなくてしょっちゅう電話が止まっていたり、学校に行く前に借金取りがきて、お母さんは今いないと言いなさいと納戸に隠れる。
母親に言われ、スーツを着た大人に玄関先でお母さんがいるのはわかってる。お嬢ちゃんが呼んでくれるまでおじさんたちは帰れないと言われ学校に行けなくなったりした。

吉川ひなのエッセイより引用

吉川ひなのさんは芸能界デビューしてからというもの、両親の生活資金をすべて頼られていました。

吉川ひなのさんはアメリカ系クウォーターという説もありますが、実際はフィリピンハーフです。

フィリピン人の母親と日本人の父親の間に、4人兄弟の3番目として誕生しました。

4人の子供がいるのにもかかわらず、父親は無職、母親は専業主婦。

にもかかわらず、父親の職業を聞かれたら「吟遊詩人」と答えるように言われて育ちます。

実際にテレビ番組でもそのように回答していたり、「人間国宝の画家」と答えることも。

また、母親には鬼の形相で「他人にうちのことは話してはならない」と言い聞かせらてきたとか。

仕事ができなくなってしまう

無職の父、専業主婦の母、兄、姉、妹のため、12歳から一家の大黒柱となった吉川ひなのさん。

ブレイクする一方で、精神的に病んでしまい仕事にいけないくなってしまいます。

最低限のお給料しか入らなくなったものの、両親は自宅に訪れお金の無心が続いていたといいます。

親になにをされても我慢するのが当たり前だと思っていた吉川ひなのさんは、子ども時代に負った深い傷を抱えたまま大人になっていきました。

引用:X

極限状態に追い込まれ、輝かしい地位を自ら捨てた後は最低限の仕事をただこなし、20代前半はお酒に逃げるようになります。

20代半ばで元夫である保科爵介さんに出会い、2011年に結婚。

引用:X

愛されることで自己肯定感が芽生え、さらに2015年にハワイに拠点を移して人生がどんどん豊かになって行ったそうです。

現在は3人のお子さんにも恵まれ、SNSでお子さんとの幸せな様子を発信しています。

吉川ひなの子供についてはこちらをチェック
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吉川ひなのの両親が毒親すぎるエピソードまとめ

まさに「毒親」だった吉川ひなのさんの両親。

衝撃的なエピソードがいくつかあったので、ご紹介していきます!

1.吉川ひなののお金で豪邸建築

吉川ひなのさんは両親に、「そんなに芸能活動を長くはできないので、貯金だけはしておいてほしい」と頼んでいました。

仕事に行けなくなったときに芸能界以外で仕事を探すので、それまでの生活費を分けてほしいとお願いしに行きます。

その生活費はもちろん、今まで吉川ひなのさんが稼いだお金でした。

しかし、両親は吉川ひなのさんのお金で豪邸を建て、通帳には家賃1ヶ月分にも満たない額しか残っていなかったのです!

月々入った収入を湯水のように使ってしまったのですね。

そのタイミングで吉川ひなのさんの稼いだお金は、両親ではなく本人に振り込んでもらうようになりました。

吉川ひなのさんが働けなくなってからも、両親は自分たちが使うお金をせびりに来ました。

2.成人式の日もお金をせびられた

一人暮らしをしていた吉川ひなのさんの自宅には、いつも父親が待ち伏せしていました。

あるとき郵便物でポストを開けると、成人式を知らせるハガキがきていました。

成人式はその日の数時間後だったため、「着物を着て成人のお祝いをしてもらう日だったのか」と涙を流します。

このような形で成人式を迎えるのも自分らしいとさえ感じたそうです。

もう寝ようと思った際に、家のチャイムが鳴り父親が訪れます。

父親はいつものように「お金のことなんだけど……」と言った。わたしは父親に成人式のハガキを見せ、「今日わたし、成人式だったみたい」と言ってみたけど父親は興味なさそうに、「ほんとぉ……」とだけ言って、いつもの困り顔で、「お金をさぁ……」と言った。

吉川ひなのエッセイより引用

我が子の大事なお祝いの日でも全く興味を示さない父親。

お金のことしか頭にない両親に育てられた吉川ひなのさんの苦悩は、計り知れないですね。

ただ父親は、いつも母親に命令されてお金を無心していたとのことです。

3.貯金箱を持ち去られる

成人式の日に訪れた父親が吉川ひなのさんから持ち去ったお金というのが、吉川ひなのさんが貯金箱に貯めていお金でした!

吉川ひなのさんは最低限の仕事しかしていなかった頃、500円玉貯金をマイメロディ貯金箱に貯めていました。

そこに、成人式の日にお金を無心に来た父親に対し、「今はもう、そのお金しか本当にない」と貯金箱のことを告げると、「そうか・・・。じゃぁ、それ、いい?」と貯金箱を持って行こうとします。

そんな父親に吉川ひなのさんは泣きじゃくるも、父親は何も言わずに貯金箱を持ち去って行ったのです。

母親に命令されていたとしても、子供にお金をたかるとは本当に酷い父親ですよね。

4.宗教二世の影響

吉川ひなのさんは宗教二世であったことも公表していますね。

吉川ひなのさんは母親は、

「ひなのさんの母親は、19世紀末にアメリカで始まったキリスト教系の宗教団体の信者でした。日本の信者数は約21万人といわれ、著名な歌手や漫画家が信者と報じられたことがあります。

引用:2023.5.25『女性セブン』

と報じられていたことから、エホバ証人だったのでは!?と言われています。

エホバ証人はクリスマスや誕生日会など行事ごとを禁じていて、煙草や乾杯をやらない、献血や輸血をしないという決まり事があります。

吉川ひなのさんは幼い頃から家族に誕生日を祝ってもらったことはなく、クリスマス会も誕生日会も知らなかったことを明かしていました。

また、幼い頃から「体が弱いと言われたり、お化けが出るだの神に叛いたら悪魔がくる」などと言われ続けらたそうです。

さらには、ずっと「輸血してはいけない!」と言い聞かされてきたのにもかかわらず、母親自身が輸血をしないと助からないといった状況の時には、あっさりと輸血をすることを受け入れたとか。

輸血はしたものの、その後お母さんは亡くなってしまったようですね。

このような生い立ちがあった中で、2011年に保科爵介さんと結婚されてからは3人のお子さんにも恵まれ、豊かな人生を送っているようですね。

しかし、2024年11月には保科爵介さんとの夫婦関係について「新しい家族の形を目指す」と報告し、離婚を発表されました。

円満離婚のようで、3人のお子さんは親権は吉川ひなのさんが持つようです。

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まとめ

今回は、吉川ひなのさんの生い立ちや両親の毒親すぎるエピソードについてもまとめてみました!

極貧生活だった幼少期から、芸能界入りで一躍トップスターになった吉川ひなのさん。

しかし、毒親によって稼いだお金のほとんどを持っていかれ、辛い時期を過ごしていたようです。

可愛らしい笑顔の裏で、毒親育てられていたことに驚いた人も多かったようですね!

現在は夫婦関係は解消したものの、幸せな家庭を築き豊かな人生を送っているようで一安心ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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