日本体育大学の藤本珠輝さんといえば、高時代から名の知れたランナーでしたね。
大学入学以降はますます実力をつけ、ルーキーイヤーからメインの選手として期待されています。
そんな藤本珠輝さんですが、どのような高校時代を過ごしてきたのでしょうか。
今回は、藤本珠輝さんの出身高校について、調査しました!
藤本珠輝(日体大)の出身高校はどこ?
日本体育大学駅伝部の藤本珠輝さんは、陸上の名門・西脇工業高校出身です。
足立幸永先生の熱心な誘いをうけ、3年時にはインターハイ5000mで決勝に進出し、15位という成績を残しています。
全国高校駅伝にも出場しており、1区を任され、区間11位でチーム13位という結果となりました。
箱根予選会
藤本珠輝君(日体大)1.03.54
1年生の中で1番手でフィニッシュ!
そして、日体大勢で最上位!!10〜15キロが14.56と
全体の3番
日本人一番。大学初ハーフでこれは強いですよね😂😂 pic.twitter.com/2MJPqClDDG
— m.s (@ihimorita) October 26, 2019
2021年の関東インカレでは、3年生となったエース・藤本珠輝さんが快走し、初日の男子1部10000mを28分18秒52で4位という記録で、日本人2位につけます。
4日目の同5000mは6位となり、トラック長距離種目で日本人唯一のW入賞を果たします。
「関東インカレは正直、出来すぎですね。10000mは3度目のレースでしたけど、一人で練習をしてきて自信もありました。前でレースを進めることだけを考えて臨み、中盤以降もしっかり粘ることができたと思います。ただ、得意にしている5000mはもっと粘れたかなと思うので、そこは少し悔しいです」
サンケイスポーツより引用
藤本珠輝さんが陸上を始めたのは兵庫県陵南中学校に入学してからで、「長い距離を走るのが楽しそう」と感じたそうです。
それまでは、4歳上のお兄さんと一緒にソフトボールをしていたのですが、兄が野球部に入ってから上手になっていったことで、「自分は絶対にやらない」と誓ったそうです。
「中1の部活動体験の時、長距離の選手が走っていたのを見ました。長距離なら、あまりお金もかからないし、自分の体一つで戦っていくのは面白い。見た瞬間に陸上部に入ることを決めました」
スポーツ報知より引用
兵庫県加古川市立陵南中学校は駅伝の強豪校として知られており、それは偶然だったのですが、まるで運命に引き寄せられるように陸上と出会ったわけですね。
藤本珠輝さんは一気に才能を開花させ、誰よりも速く走るエースとなったのですが、中学2年生のときに、監督に激怒されます。
監督は、「陸上はタイムで決着がつくがタイムがすべてじゃない。」と怒り、「人間性も含めて陸上。お前はもういらないから帰れ」と、厳しい言葉を投げかけられます。
「怒られた時は『結果を出してるのに何で!?』って思ったんですよ。でも改めて考え直すと、長距離は個人種目だけど、駅伝になればチーム全体で戦っていくから、自分のことばっかりじゃダメだって。それに気づいてめちゃくちゃへこみました」
スポーツ報知より引用
“走ること”の本質を学んだことで、藤本珠輝さんの成長は加速していきます。
中学3年生のときに兵庫県代表に選ばれ、駅伝の都道府県大会(天皇盃 第21回全国都道府県対抗男子駅伝競走大会)に出場します。
中学生~社会人選手までタスキをつないでいくのですが、藤本珠輝さんは西脇工業高校の加藤淳選手からタスキを受け取り、駒澤大の中谷圭佑選手にタスキをつなぎます。
そして、近畿大会3000mにて優勝に輝いています。全国中学駅伝では7位につき、11人抜きをして入賞をつかみ取りました。
そのまま導かれるように名門・西脇工高に進学し、短い時間で全国のトップ選手になりあがったのです。
「よく考えてみると、自分のことを振り返り、前向きに考えて修正することができる性格だったので、それが競技に合っていたのかな…。もちろん、反復練習も長時間走る練習も、あまり面白くないんですよ。でも、結果がでた時の喜びを思い浮かべたら、今やっていることがつながっていて、効果があることを理解できる。それがモチベーションですし、あの感覚を味わうためだったら苦しい練習もやろうって思えるんですよね」
スポーツ報知より引用
現在は日本体育大学の寮で生活しており、かつてエースとして引っ張ってきた池田選手から、多くのことを学んできたといいます。
「池田さんは競技に対して本当にマジメで、生活のリズムも完璧でした。部屋でお菓子を食べているのを見たことがないですし、消灯時間になったらすぐに就寝する。普段の生活からレベルが高く、いろいろな面で助けていただきました。それに池田さんの活躍は自分にとっても自信になったんです」
サンケイスポーツより引用
エースの背中を常に追いかけてきた藤本珠輝さんは、トレーニングの質をあげるべく、自らメニューを考案します。
玉城良二駅伝監督と相談して練習を進め、他の選手と一緒ではなく、自分でペースを作って攻めていくことを目標にしているそうです。
関東インカレで大活躍してからは、藤本珠輝さん=誰もが認める名門・日体大のエースになりました。
藤本珠輝の高校時代の戦績について調査!
藤本珠輝さんは、西脇工高時代、以下のような成績をおさめています。
インターハイ5000m15位
全国高校駅伝1区11位
都道府県駅伝2016年 (6区・20位)
全国高校駅伝2018年 (1区・11位)
都道府県駅伝2019年 (1区・25位)
箱根駅伝2020年 (5区・16位)
全日本大学駅伝2020年 (3区・12位)
箱根駅伝2021年 (1区・8位)
都道府県駅伝2019年 (1区・25位)
駅伝ネットより引用
高校時代、藤本珠輝さんは2年生で出られなかった都大路に、3年生で出場できたのが一番の思い出だそうです。
日体大に進学してからは、ルーキーイヤーから主力選手として活躍し、1年生で箱根駅伝予選会チームトップの個人14位(1時間3分54秒)をマークします。
ただ、箱根駅伝では直前の怪我もあって、厳しい戦いとなりました。
実は藤本珠輝さんは、小学5年生のときから「全身脱毛症」という病気を抱えています。
藤本珠輝 選手(日体大)
吉居大和 選手(中央大)男子5000m#日本選手権 pic.twitter.com/YvCRkt31yG
— 彩 (@coopoocoo) June 24, 2021
そのため、治療で体調を崩したり、見た目をからかわれることもたくさん経験してきました。
藤本珠輝さんが病に気づいたのは小学5年生の11月で、汗をかいて頭をかいたら、手に髪の毛がびっしりついていたそうです。
体調に変化はなく、最初は頭の一部分だったのですが、どんどんいろいろな箇所が抜け始めてしまいます。
病院で脱毛症と診断され、眉毛やまつ毛も抜け落ちてしまい、かなりのショックをうけました。
学校でもからかわれるようになり、頭を隠すためにニット帽で過ごすと、それもまたからかわれてしまいます。
「小6になる少し前でした。授業の終わりに、担任の先生が涙ながらに僕のことをみんなに話してくれたんです。それは嬉しかったですし、みんなの態度も一気に変わって。中学に上がる時には、みんなが気にしないのに自分だけが気にするのはおかしい」と思えるほどになっていた。
スポーツ報知より引用
両親は脱毛症についてたくさん調べてくれたそうで、藤本珠輝さんの治療のために、遠い病院に通ったりと、奮闘してくれたそうです。
中学1年生のときに生え揃ったことで、『完治した』と思っても、中学3年生で再び全て抜けおちてしまう、という繰り返しだったそうです。
「高3になってウイッグをつけて走るようになりました。最初はキャップをしていたんですけど、西脇工高の伝統であるハチマキが、ウイッグを固定するのにもちょうど良かったんです。大学生になってハチマキをつける人はいないんですけど、僕は、大学でもこれを続けようって決めたんですよね」
スポーツ報知より引用
前向きに治療を続けた成果からか、最近は症状が改善しつつあるそうです。
関東インカレでは、ウィッグを外して出場し、大学1年で自身の病気について公表しています。
第98回箱根駅伝予選会
日本体育大学は10時間39分32秒の3位で74年連続の本戦出場を果たしました!
正直走りきれるか不安でしたが、なんとかなりました。
これからはまず治すことに専念して本戦に向けて取り組みます。応援ありがとうございました!#箱根駅伝予選会#日本体育大学 pic.twitter.com/Ax1l2bMwPy
— 藤本珠輝 (@tamama_EKIDEN) October 23, 2021
ウィッグを外すのはとても勇気のいる決断だったと思いますが、藤本珠輝さんは「良かったと思っています」と話しています。
同じ病気を抱えている方からも、『走りを見て勇気をもらった』と言われることもあるそうです。
「自分の走りが誰かの役に立っている」と思うと、モチベーションもあがりますよね。
まとめ
今回は、藤本珠輝さんの出身高校について、紹介しました。
兵庫県出身の藤本珠輝さんは、陸上の名門・西脇工業高校に進学していました。中学時代から陸上をはじめ、すぐに才能を開花させています。
その裏では「全身脱毛症」という病と戦っていて、大変な思いをしていたのにもかかわらず、前向きに競技に打ち込んでいるのはすごいことですよね。
今後の活躍も楽しみですね!