【画像】菅義偉官房長官は若い頃からかわいい!生い立ちや経歴まとめ

新元号「令和」を発表したことでも知られる菅義偉官房長官。

「令和おじさん」として国民の人気者となり、女子高生の間でも「かわいい」「面白い」と大人気なようです。

最近ではポスト安倍候補としても実力を発揮していますが、若いころは意外な苦労人だったようです。

今回は菅義偉官房長官の生い立ちや経歴についてまとめてみました!

目次

菅義偉官房長官は若い頃から可愛い!?

新元号「令和」発表で知名度が急上昇した菅義偉官房長官。

注目を集めたことにより写真アプリや動画で可愛く加工され、パンケーキが好きという情報も加わり、「菅官房長官可愛い」と言われています。

女子高生の間では「ガースー」のニックネームで親しまれ、「大の甘党」として自身のインスタグラムで好物のパンケーキを食べる姿や、アイスクリームを食べる姿がアップされています。

今では加工された可愛さではなく、「菅義偉官房長官そのものが可愛い」というブームが起きているんです。

10代や20代の若い女性たちから支持を集めている菅義偉官房長官さんですが、若いころから可愛かったのでしょうか?

菅義偉官房長官の若いころを見てみると、かなりキラキラの笑顔ですよね!

「可愛い」といわれているゆるキャラ的な雰囲気はないものの、令和おじさんとしてブームになる面影はありますね。

肌のツヤやさわやかな笑顔を現在とくらべると、改めて官房長官ってきつい仕事なんでしょうね・・・

菅義偉官房長官の生い立ちは苦労人だった!

 

秋田県出身の菅義偉官房長官は両親と姉二人がおり、一人息子として誕生しました。

実家は現在もイチゴ農家を営んでおり、姉や叔母、叔父など親族には教員が多かったことから、両親にも教員になるよういわれて育ちました。

高校卒業後は北海道大学へ進学をすすめられたのですが、「東京に行けば何か変わるかもしれない」と反発し、家族の反対を押し切って上京を決意します。

この決断に大反対した父親の制止を振り切り、家出同然で東京へ行きました。

教師になるのも実家の農業を継ぐのも嫌だったみたいですね。

もともと菅義偉官房長官は成績優秀でしたが、高校卒業と同時に集団就職で上京したようです。

若い頃から頑固で一度決めたら譲らない一面があったのでしょうね。

集団就職で上京したものの、身寄りがない菅義偉官房長官は段ボール工場へ就職します。

段ボール工場で働きつつも、このままではダメだと思い直し大学進学を目標に勉強し始めます。

段ボール工場でのお給料で学費をまかなえる私学で一番安かった法政大学への入学を目指しました。

そして2年後に法政大学法学部政治学科に入学し、政治法律を学び、世の中を動かしている政治に興味がわいたようです。

菅義偉官房長官のこれまでの経歴まとめ

1973年、大学卒業後は建設設備株式会社(株ケーネス入社)に入社しますが、法学部OBからの紹介で政治に興味を持ち始めていた菅義偉官房長官。

まず最初に1983年、衆議院議員小此木彦三郎の秘書となりました。

大臣秘書官となり、この後横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬して初当選を果たします。

1996年の第41回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し、衆議院議員となりました。

2010年には自民党国会対策副委員長及び広報本部長代理に就任し、2011年、自民党組織運動本部長に就任します。

2012年から現在まで第三次安倍政権を支える官房長官となり、あらゆる場面で活躍していますよね。

森友問題の改ざん問題の浮上、安倍政権崩落の危機となりポスト安倍として次期総理大臣
の可能性がささやかれる菅義偉官房長官。

2020年8月になり安部首相が持病のため辞任を発表し、いよいい菅義偉官房長官が自民党総裁選挙に出馬する意向を表明しました。

令和おじさんとしてブームになった菅義偉官房長官が、日本のトップに君臨する日も近いかもしれません。

まとめ

今回は菅義偉官房長官の生い立ちや経歴について紹介しました!

秋田のイチゴ農家の息子が集団就職で苦労しながらも、現在の地位を築いたというのはすごいことですね。

若い頃から優秀でやり手だった菅義偉官房長官。

今後も日本の政権を支える存在として注目を集めていくことでしょう!

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